キャメロット・ガーデンの少女、リターナー

http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=5619
評価1。久々の映画なのに1ですよ。テーマっていうか話の構図は好きなんだけどねえ。
高級住宅街に住む家庭の少女と、その町に森から通いで来て働く芝刈りバイトの貧乏青年。少女は大人びていて周りになじめず、青年はちょっと幼くて疎外されていて。惹かれ合う二人。地位格差のある二人の恋(この話では恋というか友情・連帯感みたいなもんだけど)というと「ローマの休日」がクラシックって事になるだろうけれど、あれよりはもうちょっとリアリティがある設定だ。
でも俺はリアリティ無視でもっと極端な、金持ちの令嬢とその家の下僕との恋みたいなものが俺は見たいよ。つーかそういう下僕になりたい。美少女に服従したい。最期は美少女をかばって悪党のイングラムから発射された9ミリを百発くらい食らって死にたい。アホか。
んでこの映画、既に書いたように描かれているものは恋愛ではなく友情に近い心の交流って感じのものだからそれが映画全体を退屈にしている。もう一歩踏み込んだ話を観たかったねえ。結局二人の交流は町の人々に誤解されて騒がれて、青年は森から追い出されるんだけど。あ、ネタバレしちまった。
あと主人公の青年がトレーラーに女を連れ込んでセックスしている、つまり性的にノーマルであるあたりマイナスポイント。「レオン」のように成人女性はだめなんですボク、みたいなペドフィリア要素が明確にあった方が映画的にも深みが出たと思う。つーか完全に俺の好みの問題だが。
んで退屈だなぁと観ていたらラストシーンは素晴らしかった。ラストだけはリアリティ無視の奇跡が起こり、映画っていうものの面白さが発揮されていて、つうか今までの退屈さはこのシーンのためだったのか?って感じのカタルシス。ほんの少し感動した。これはネタバレしない方がいいかもな。でもやっぱり評価は1だなあ。ミーシャ・バートンはまあまあ可愛いっす。


この解説はいいね。ラストシーンも思いっきりネタバレしてるから未見の人は読まない方がいい。
http://www5.big.or.jp/~hellcat/video/lawn_dogs.htm

http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=9708
評価1。ワイヤアクションが売りの、マトリックス対抗意識バリバリの邦画。
と言ってもかなり格下。鈴木杏は可愛いが絶句するほど演技が下手。大根役者の限度を超えてるよこれ。相棒の金城武はどうか?こちらも最悪という以外言葉が見付からない。何だかストーリーの幼稚さも「ジュブナイル」っぽくてゲンナリ。金と時間を返せ。返しなさい。今すぐ。

日本のヒップホップ

まずHIPHOPとは正しくは音楽ジャンルを指す言葉ではなく文化を指す言葉なんだけど、便宜上ここでは音楽ジャンルとしてのHIPHOPについて書きます。そこんとこピロシキ
ここで俺が書くべきは日本のヒップホップの魅力だからそれに話を限定すると

  • リリック(歌詞)が日本語だから聞き取れる、理解できる
  • 他ジャンルの曲に比べリリックが練りこまれている、と思ういや当然主観ですよ

この辺に尽きるような気がする。
1番目はまあわかってもらえると思う。ラップにはメロディがない分、ラッパーが何言ってるのかわからないとつらいものがあるんで。その点で洋物ヒップホップより深く作品に触れられるよね。ああ、こういう文章を書いている俺はすごく無様だな。まあいい。
2番目、ポップやロックに比べて、ヒップホップはメッセージ性のある楽曲が多い・・・って言ってもそうでないのもあるよ勿論。いや、メロディがない分リリックの中身で勝負しているところがあって、って言ってもそうでないのも山程あるんだけどさ。ああうぜえ。つーか俺が日本語ヒップホップにはまり出した9年前はそうだったんだよ!もう売れてなくて売れてなくてクソなJPOPが簡単に売れて、ラッパー達は怒りと屈辱で誰もが「今に見ていやがれ」みたいな怨念をリリックに込めていてコンプレックス丸出しで俺はそれがたまらなく好きだったんだよ!
ちょっと脱線するけど俺はポップの雄であるところのサザンオールスターズ桑田佳祐も好きだったりするんですけど彼はメロディが第一で歌詞は二の次みたいな事をよく言っている。「君こそスターだ」のリリース時のインタビューでも「歌い出しの”稲村ヶ崎は今日も雨”って部分はアメにするかカメにするか迷ったんですよ、あのメロディならどっちかの音しかあり得なかった」と言っていて、つまりメロディが先にあってそれに合う言葉をはめていってるわけ。んでそれに対しヒップホップは逆で言いたい事がまず最初にあるって図式。これが当時の俺には新鮮だった。ポップやロックよりは中身のある事を言っているぞ、と。っていうか最近のはどうもリリックにそういう新鮮さを感じられない。ヒップホップが変わったのか俺が変わったのか知らんが。まあいい。


日本のヒップホップアーティストのファッションに見られる猿真似・独自性のなさに対する批判について。
彼の主張していた、日本のラッパーの「なんちゃってギャングスタ」ファッションがもう駄目、受け入れられない、っていうのは俺自身もやや理解できる部分はあるんだけど。そう言えばCRAZY-Aなんかは「何でわざわざ汚した服を着る?俺達汚れてしまった服を着る」というリリックでファッションだけのギャングスタスタイルというものを批判していた。
でも所詮ファッションはファッションであってミュージシャンにとって本質ではなく「俺達がやっているのはヒップホップだよ」っていう消費者へのアピール・理解の助け以外の意味は多分ほとんどないと思うのよ。宣伝っていうか。「こういう格好がHIPHOPPERなんですよ!覚えてね!」みたいな。で、それをもって彼らの音楽まで聴く気をなくしてしまうのは勿体無いし、挙句の果てにファンまでひとくくりに馬鹿呼ばわりってのはどうなのかと思うわけよ。料理人の世界を見てみたまえよ。和食の料理人が甚平や作務衣を着て、フレンチの料理人がコックコートやコック帽を着用するようなもん。ファッションは料理人にとって本質じゃない。本質はあくまで彼らの料理。つまりHIPHOP嫌い君は日本人がやっているフランス料理店に対して「何だよあいつら外人の猿真似ファッションしやがって、日本のフレンチは駄目だね独自性がない、俺は食わないよ食ってる奴は馬鹿」って言って肝心の料理を食おうともしない、そんな感じ。


んで俺これ書くのにやたら時間かかっちまったんだけど、やっぱあれだ、音楽を言葉で語るのは無理だ。俺、上の文章で何も伝えられた気がしない。ごちゃごちゃと駄文を書き連ねただけだ。結局音楽の良さなんて聴いてもらう以外に伝えられないんだ。というわけで素晴らしい(と俺が思っている)日本語ヒップホップをかけまくるネットラジオを、君1人のために流したいと思う。都合のいい日時を指定してくれればやるよ。コメント欄にでも書いてくれ。ポップもロックも演歌もアニソンも時事ネタのしゃべりもなしだ。ひたすらいい(と俺が思う)ヒップホップをかけ続ける。本気で。その上でやっぱりクソ音楽だと判断したならそれでいい。不要ならやらんよ。連絡待つ。