日本のヒップホップ

まずHIPHOPとは正しくは音楽ジャンルを指す言葉ではなく文化を指す言葉なんだけど、便宜上ここでは音楽ジャンルとしてのHIPHOPについて書きます。そこんとこピロシキ
ここで俺が書くべきは日本のヒップホップの魅力だからそれに話を限定すると

  • リリック(歌詞)が日本語だから聞き取れる、理解できる
  • 他ジャンルの曲に比べリリックが練りこまれている、と思ういや当然主観ですよ

この辺に尽きるような気がする。
1番目はまあわかってもらえると思う。ラップにはメロディがない分、ラッパーが何言ってるのかわからないとつらいものがあるんで。その点で洋物ヒップホップより深く作品に触れられるよね。ああ、こういう文章を書いている俺はすごく無様だな。まあいい。
2番目、ポップやロックに比べて、ヒップホップはメッセージ性のある楽曲が多い・・・って言ってもそうでないのもあるよ勿論。いや、メロディがない分リリックの中身で勝負しているところがあって、って言ってもそうでないのも山程あるんだけどさ。ああうぜえ。つーか俺が日本語ヒップホップにはまり出した9年前はそうだったんだよ!もう売れてなくて売れてなくてクソなJPOPが簡単に売れて、ラッパー達は怒りと屈辱で誰もが「今に見ていやがれ」みたいな怨念をリリックに込めていてコンプレックス丸出しで俺はそれがたまらなく好きだったんだよ!
ちょっと脱線するけど俺はポップの雄であるところのサザンオールスターズ桑田佳祐も好きだったりするんですけど彼はメロディが第一で歌詞は二の次みたいな事をよく言っている。「君こそスターだ」のリリース時のインタビューでも「歌い出しの”稲村ヶ崎は今日も雨”って部分はアメにするかカメにするか迷ったんですよ、あのメロディならどっちかの音しかあり得なかった」と言っていて、つまりメロディが先にあってそれに合う言葉をはめていってるわけ。んでそれに対しヒップホップは逆で言いたい事がまず最初にあるって図式。これが当時の俺には新鮮だった。ポップやロックよりは中身のある事を言っているぞ、と。っていうか最近のはどうもリリックにそういう新鮮さを感じられない。ヒップホップが変わったのか俺が変わったのか知らんが。まあいい。


日本のヒップホップアーティストのファッションに見られる猿真似・独自性のなさに対する批判について。
彼の主張していた、日本のラッパーの「なんちゃってギャングスタ」ファッションがもう駄目、受け入れられない、っていうのは俺自身もやや理解できる部分はあるんだけど。そう言えばCRAZY-Aなんかは「何でわざわざ汚した服を着る?俺達汚れてしまった服を着る」というリリックでファッションだけのギャングスタスタイルというものを批判していた。
でも所詮ファッションはファッションであってミュージシャンにとって本質ではなく「俺達がやっているのはヒップホップだよ」っていう消費者へのアピール・理解の助け以外の意味は多分ほとんどないと思うのよ。宣伝っていうか。「こういう格好がHIPHOPPERなんですよ!覚えてね!」みたいな。で、それをもって彼らの音楽まで聴く気をなくしてしまうのは勿体無いし、挙句の果てにファンまでひとくくりに馬鹿呼ばわりってのはどうなのかと思うわけよ。料理人の世界を見てみたまえよ。和食の料理人が甚平や作務衣を着て、フレンチの料理人がコックコートやコック帽を着用するようなもん。ファッションは料理人にとって本質じゃない。本質はあくまで彼らの料理。つまりHIPHOP嫌い君は日本人がやっているフランス料理店に対して「何だよあいつら外人の猿真似ファッションしやがって、日本のフレンチは駄目だね独自性がない、俺は食わないよ食ってる奴は馬鹿」って言って肝心の料理を食おうともしない、そんな感じ。


んで俺これ書くのにやたら時間かかっちまったんだけど、やっぱあれだ、音楽を言葉で語るのは無理だ。俺、上の文章で何も伝えられた気がしない。ごちゃごちゃと駄文を書き連ねただけだ。結局音楽の良さなんて聴いてもらう以外に伝えられないんだ。というわけで素晴らしい(と俺が思っている)日本語ヒップホップをかけまくるネットラジオを、君1人のために流したいと思う。都合のいい日時を指定してくれればやるよ。コメント欄にでも書いてくれ。ポップもロックも演歌もアニソンも時事ネタのしゃべりもなしだ。ひたすらいい(と俺が思う)ヒップホップをかけ続ける。本気で。その上でやっぱりクソ音楽だと判断したならそれでいい。不要ならやらんよ。連絡待つ。