まだ生きているよ。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を観たから何か書こうと思った。大体の感想は「絶賛派」と「失望派」に分かれていて、結論から書くと俺は後者。シンジが意思をしっかり示して逆境にもくじけず立ち向かっていくなんて、それは既にシンジではない。シンジがシンジでなければ、それはすでにエヴァではない。エヴァの本質は未熟な大人や未熟な子供が混沌に曝されて、しかしそこで超人的な何かを成し遂げるでもなく、極めて人間的な感情や弱さで自分や周囲の人々を傷付けてしまったり励ましたりしつつ状況に流されていく、そういう部分だと思う。思い出してくれ。旧作の評価ってそうだったろ?みんな何て言ってた?「共感した」って言ってなかったか?新聞も雑誌も識者もデラべっぴんも、「これまでのアニメに見られない、キャラクターの弱さが広い共感を呼んだ」としていなかったっけ?特にシンジは弱くて放って置くとすぐ内省を始め自分の殻にどこまでも閉じ篭もっていくような奴だった。俺?共感したよ。時々イライラもしたが、彼の背負わされた重責を思えば、どこかぶっ壊れるだろう。好きではないが、嫌いにもなれない。共感はできる。そんなキャラクターだった。それじゃあ、本作を絶賛している人達は、シンジが本当は嫌いだったんだろうか。


KILL BILL: Vol.2で用心棒バドが殺し屋エルに尋ねる。
「宿敵キドーが死んだ今、どっちのRを感じている?戦えなかったRegret(後悔)か?それともRelief(安堵)か?」
「両方よ」
「そりゃ、両方だろうさ。でも程度としてはどちらかが少し勝っているはずだ。・・・どっちだ?」


絶賛派は単に、旧シンジへの共感や愛情よりは嫌悪の方がいくらか勝っていた、ただそれだけのことなのだろうか。
いずれにせよ、これはやはりエヴァンゲリオンではない。だからタイトルも「ヱヴァンゲリヲン」なんだろうね。別の作品ですよと。なるほど道理で。それならいっそ、エヴァの世界観を借りずに丸ごと新しい作品を作ってしまえば良かったのに。お好み焼きって知ってるか。小麦粉と出汁と卵とキャベツをぐちゃぐちゃに掻き混ぜて豚肉やらゲソやら放り込んでさらにぐちゃぐちゃにして焼いて濃いソースとマヨネーズなどで食べるものだ。あれって品がないよね。ではフレンチでもイタリアンでもいい、他流シェフが出てきて器と材料はそのままに、いや材料に新たにヒレ肉なんて追加しちゃったりなんかして、とても上品な料理を作ったとしよう。それを「ヲ好み焼き」と言われたら諸手を上げて食えるか。いや違うな、食ったとして「俺はこういうヲ好み焼きを待ってたんだよ!」となるか。お好み焼きの良さ、お好み焼きの本質はそこにはない。もう別の名前付けろよ、となるだろう。
ごちゃごちゃ書いたが、第8使徒戦ですごいスピードで足場が生えてくるシーン、朝の通勤通学シーン、これらの映像美は圧倒的だった。買い物としてはもうこれだけで元が取れたと思った。声出たもんね。「ぅぅっ・・・」って。ちなみに俺の前に座っていた女子中学生5人組は、加持がシンジに迫る素振りを見せるシーンで嬌声を上げた。旧作放映時てめえらは幼稚園児でもなかったろうが、リアルタイムで観てない世代が我が物顔で笑うな神妙に観ろ耳障りなんだよまんこ舐めさせろガキども!という怒りと、ああ、新時代はこいつらのものなんだ、エヴァも変わり世代も変わる、そうなんだなという諦念とが一瞬脳髄に入り混じり俺の口元が歪んだ。上映終了後丁重に依頼したがまんこは舐めさせてくれなかった。