権力?情報隠蔽?

にこやか

近藤淳也の新ネットコミュニティ論
http://blog.japan.cnet.com/kondo/archives/002209.html
http://blog.japan.cnet.com/kondo/archives/002212.html
前の記事はそれなりに頷ける内容だったが、今回の記事「でたらめさはどこから来るか」は一貫して「権力」が「情報を隠蔽」しているという論調で、どうも市民活動家っぽい文章だ。既視感が・・・。


学校の制服の話。

実際にはもちろん、こうしたルールを作った人たち=文科省教育委員会、先生、保護者などの理論によってこうした制度が維持されているのだと思いますが、あまり当事者である生徒の立場に立った理由はなさそうです(毎朝服装を考えずにすむ、くらいでしょうか)。

まず「ルールを作った人たち」は生徒と対等の関係ではない。生徒は酒タバコもだめ、選挙権もない、犯罪を犯しても保護される身分。ルールを作る側と守る側が共に幸せになれるのがもちろん理想だが、両者の意向に差があればどっちが優先されるかっていうとそりゃ作る側。

でも本当に、情報は隠蔽される必要があるのでしょうか?まっとうな理由があるのならば、それを生徒にも説明できるはずではないのでしょうか。

ガキ相手にいちいち説明なんかしてられないよ、ってだけの話じゃないかな。まっとうな理由がないから説明できないのではなく、そんな暇がないだけだと思う。
丁度いいからはてなアイデアを引き合いに出そう。笑い
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例えばはてなアイデアで却下された数々のアイデアは、本当に提案者が納得するまではてなスタッフによって説明されたか?またユーザーが執拗に「納得いくまで説明を!」と求めてきた場合、どこまで説明する義務があるだろうか?まっとうな理由があっても仕事の都合上、個々のユーザーが皆納得するまでの説明というのは不可能ではないか?その場合、それは「情報の隠蔽」と呼ばれるべきだろうか?
(もちろん学校とはてなは単純に置き換えられない。はてなはユーザーの意志で入会するが中学校は義務教育だから。そういう意味ではてなは高校に近いだろうか)

当事者と違う場所でルールが作られ、それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、そのルールに疑問を呈することはタブー視され、現場では理由も示されず本質から外れた管理が行われていて、疑問を持った当事者が疑問を投げかけるための窓口は用意されておらず、推理に近い努力をしないとその理由すら分からない。

では当事者にルールを作らせろとでも?制服はなくなるかもしれないが週休6日にしろとか学校にエレベーターつけろとか給食は毎日松坂牛とか男子の制服は全裸に蝶ネクタイとかとんでもない事言い出すよ。ルール作成の妨げになるだけ。だから生徒を関わらせないだけ。

人身事故だったり、ちょっと早く進みすぎたりしたのかもしれませんが、車内放送で何も通知されずに1分間くらい放置されると、僕はとても不信な気持ちになります。

説明料までは運賃に含まれていないってだけ。それを受け入れられるかどうかって話で。サービスと料金が釣り合っていないと判断したら乗らないのも客に保障された自由。近藤社長は車内放送で理由を説明するのが義務だと考えてるらしいけど、俺は車内放送で漫談でもやって乗客を楽しませる義務があると考えているよ。

これも、電車を進めたり止めたりす権力と、情報の隠蔽に関係しています。

(;´Д`)・・・
いや、もうお気に入りの個人タクシーでも呼んだ方がいいねこれは。